Copyright (C) Ada72 All Rights Reserved.

第10話 アウトソーシング 1999/03/16

素直に 「 外注 」 って言っちゃえばいいのにね。
もっと言うなら 「 派遣 」 って言っちゃえばいいのにね。

カタカナで書いただけで入社したいと思う学生の数が一気に増える。
学生さんたちに聞きたいよ。
あんたの体の一番てっぺんについてる一番デカい器官は何ですか?
もうちっとよく考えましょう。

アウトソーシング… 「 自分がやりたくないことを金で他人に押し付けること 」
押し付けられる側になるんだよ。 いいの?

情報部門というのは確かに、 構築までやっちまえば突然 「 お荷物 」 と化す。
荷物と化した時点で自社内で賄わず外注しちまうっていう発想も正しいでしょう。
でも、 その、 「 お荷物 」 を引き受けて運用とか保守とか雑用まがいのことをやるんだよ。
それで技術者だなんてちゃんちゃらおかしいよ。

業態を考えると、 派遣とも紙一重でしょうな。
情報部門を外注に出してるでかい会社に行って、 運用とか保守とかを地道にやるわけですな。

なんのために大学まで行って勉強したのか分かんなくなるよね。
文部省はそんなつまらんことのために教育予算が無駄遣いされていることを知っているのだろうか?
通産省は日本の技術者の大半がそんなつまらん仕事に従事していることを知っているのだろうか?

それにしても、
派遣とかアウトソーシングの会社が業界トップとは、 日本のソフトウェア産業の行く末が案じられますな。
…30年以上前からずーっと案じられ続けてますがね。

第11話 IEEE 1999/03/17

3 月 16 日、 別件で次の会社の総務の人に電話をかけたら、 新住所と電話番号をメールで連絡するようにと言われた。
お易いご用で、 とさくさく書いて 「 送信 」 ボタンを押した。
…あっ、 しまった!
シグネチャにこのページの URL が書いてあったのだ。
普段は友達にしか出さないのでそれでよかったのだが、 うっかりしていた。
やべーなー、 見てませんように、 と祈っていたのだが、 返事が返ってきていた。
しっかり見られちゃったようだ。

なんと随分気に入って下さったらしく、 続きを楽しみにしていますとのことだった。
こんなに会社の内部のことをこき下ろしているんだから、 普通だったら 「 うちの会社のことは書くな 」 とか言いそうなもんだけど、 「 うちのことを書かない、 というのは無しですよ 」 とのことである。
なんておおざっぱな、 もとい、 おおらかな会社なんだ(笑)。

それにしても このページを 「 笑いをかみ殺しながら 」 読む総務の人 ってすごいですね。
読者としてプログラマとか SE を想定していて、 その人たちが 「 うんうん、そうだよなぁ 」 とうなずいてくれるのを期待していたので、 爆笑されるとは予想外の結果だった。
今度どの話が面白かったのか聞いてみよう。 面白かったのではなくて、 「 アホかコイツ 」 とか思われてるんだったりして(笑)。

「 受け止め方に個人差がある 」 といえば ( って強引やな ) 、 「 IEEE1394 」 ですな。
「 IEEE1394 」 が長いというのも、 馴染みにくいというのも何となく分かるけど、 アップルとソニーが別々の愛称をつけちゃった。 「 余計分かりにくくなったやんけ!! 」 と思ってるのはオイラだけ?
だいたい 「 USB 」 は 「 USB 」 でよくて、 なんで 「 IEEE1394 」 は駄目なんじゃい。
しかも 「 IEEE 」 って人によって読み方が違いますよね。 「 アイ・トリプル・イー 」 って読む人と 「 アイ・イー・イー・イー 」 って読む人がいますね。
後者の方は息が上がっちまいそうですね。
今度から写真撮る時は 「 アメリカの電気電子技術者協会は? 」 と聞いてみましょう。
「 引きつり笑い 」 の顔が撮れるでしょう。

ちなみにこの会社、 まだ募集してます。
CAD / CAM 開発経験者の方、 数学に自信のある方は受けてみられてはいかが ( 要 C / C++ 経験 ) 。
…とりあえず総務主任、 こんなふざけたページ会社で読むのはどうかと思いますぜ(笑)。

第12話 Σ と TAO と IPA 1999/03/18

TAO ( 通信・放送機構 / 郵政省 ) と IPA ( 情報処理振興事業協会 / 通産省 ) についてはどっかで調べりゃ分かると思うので、 特にここで説明はしない。
どちらも研究開発プロジェクトを公開していて、 官民学問わず研究計画を提出、 落札すればプロジェクトに参入できる。

研究プロジェクトとうちの会社がどういう関係にあるか疑問でしょう。
あるんだな、これが。
この不況で 2000 年問題に追い回されてるとこ以外はどこもかなり苦しい。
そこで国の出すものにすがるわけですよ。
もう、 土木屋さんと全く同じ。
国が不況対策に、 何がしかプロジェクトをでっちあげる。
そいつにシステム屋さんが蟻のように群がるわけ。
でも、 うちみたいに技術力も人手もないところが本来は取れる訳がない。
じゃなんで取れてんのかっつうと、 「 親会社様々 」 ですな。
親会社が取ってきて、 その孫受けをうちが貰うという仕組み。
ほんとに土木屋さんと同じだね。

TAO と IPA 以外にそういう 「 たなぼた 」 があるのかは知らないけど、 うちは親会社の研究部門にぶら下がってる関係で TAO とか IPA の研究プロジェクトに入れられることがあるわけ。
で、 「 今年はちょっとやばいなー 」 となると、 TAO か IPA に提案してみたりなんかして。

でもこれってどっかで聞いたような構図じゃありやせん?
悪名高き 「 Σ計画 」 そのまんまだよな。
いかにシグマが 「 封印された過去 」 だからってまた繰り返さんでもよかろうが。
シグマ知ってて同じことやってるなら、 開いた口がさらに開こうというものだ。

ちなみに 「 シグマ 」 とか 「 Σ 」 で WWW を検索しても、 参考書ばっか引っかかってくる、 はずだ。
シグマは通産省にとって 「 封印された過去 」 であり、 その失敗を語ることは随分長い間禁じられていたのだ。

さっき IPA のホームページを見たら、 「 沿革 」 の中にシグマプロジェクトが入っていた。
なんと、 シグマをやったのは IPA だったのか!!
そりゃ、 同じ構図にもならぁね。
やっぱり開いた口が…あいててて、 あごが外れた。

…国の考えてることってこの程度だから、 会社を思うなら国家プロジェクト依存体質、 改善した方がいいと思うぜ。 > うちの会社

第13話 清算 1999/03/19

…あれからしばらくたちますが、 糞プログラマ採用しちゃって後悔してません? > 総務主任

3 月 18 日はこの前買ってきた Quantum FireBall を愛機に入れてあげることにした。
DELL の筐体ってなんかどっかマヌケなところがあって、 我が愛機 DIMENSION はドライバなしで筐体が開くと見せかけて実はネジが一本ついている。
もっと笑わせるのが会社の後輩の OptiPlex で、 タワーの前面左下にボタンが付いている。 普通この場所にボタンがあったらリセットボタンだと思うでしょ?
ブー。 押すと筐体左側面パネルがバカーンと開くのでした。 いやーん。 ばかーん。

FireBall をパッケージから出す。
プチプチの表のシールに、 「 また使えるからツブすな ( Reusable Container, Do Not Destroy ) 」 と書いてある。 あれを潰したくなるのは日本人だけじゃないみたいね。
「 マスタ - マスタ 」 にしてみたらどうなるだろう? とかアホな実験をして遊んだりして、 FireBall は無事我が愛機に納まり、 愛機は 14GB ものディスクを抱えたマシンに変身しましたとさ。

埃まみれになった体を風呂でサッパリ洗い流して、 川崎へ。
同期とお別れ飲み会だ。

もう、 言う言う。 会社ボロカスに言いまくってみんなサッパリさ。
でもふと思う。 オイラにとってこの 3 年間はなんだったんだろう。

オイラの会社は親会社の研究部門にぶら下がってる。 親会社で研究をしていて、 一応うちが技術開示を受けて製品化や商品化をしていくという建前になっている。
でも、 開示された時点で他社が商品化していたり、 開示してもらっても商品化が不可能なシロモノだったり、 うちの技術力不足、 人手不足、 営業力不足で商品にならなかったりする。
組織のことをいくら嘆いても始まらないし、 ここで書くべきことではない。
かわいそうなのは日の目を見なかったモノたちだ。 膨大な研究予算を割いて作られたのに、 出来上がった頃には時代遅れ。
オイラの気持ちをたとえて言うなら 「 流産した母の気持ち 」 だろうか。
あんなにオイラたちが一生懸命作ったものなのに、 ついに世の人々に使われることなく消えていってしまった。

研究開発の受託だけでは持たないから、 親会社の事業部門の仕事も受けているけれど、 どれもやっつけ仕事で技術は蓄積されない。
もっとスキルアップしたいよー。
しかも納品して必ず使ってもらえるシステムかというと、 「 子会社に仕事を出さなくちゃ 」 って感じのものだから導入しても使われない。
IPA も TAO も同じ。
そんなのつまんねぇよー。 使われるものが、 売れるものが開発したいよー。

オイラは焦っていた。 うちの会社にずっといたら、 駄目になっちまう。
いかに糞プログラマでも技術者だと思うなら、 外で通用する技術を持っていたい。
とにかく、 研究試作品なんかじゃなくて、 ちゃんと売れるものを開発したい。
よしっ、 売れるものを開発させてくれるところに行こう!

TECH B-ing を買ってきて、 これはと思う会社には遠慮なく応募した。
適職フェアにも行った。
いろんな会社に面接に行った。
…そして、 昨年のクリスマスプレゼントは、 次の会社の内定だった。

パッケージは、 厳しい世界だ。
仮に現在トップシェアを誇っていても、 そこから転げ落ちることは簡単だ。
逆にトップを維持するには膨大なエネルギーが必要だ。
そんな厳しい世界で、 自分は生き残れるのか。
逆の言い方をすれば厳しい現場で自分を磨けるのだ。
こんな糞プログラマにもチャンスが巡ってきたのだ。 全身全霊をかけてお相手するぜ!!

オイラはもうすぐ、 3 年間のこの会社の生活に別れを告げる。
目の前に新しい扉がある。
その扉を開けたら、 どんな修羅場が待っているだろう?
4 月 1 日まで、 エンジン全開でふかして待ってるぜ。

第14話 出会い 1999/03/20

それは、 忘れもしない、 大学に入学した春のことだった。
文学部に入学したオイラに、 「 これからは文系でもコンピュータが使えなくてはいけないから 」 と、 親父がそいつを買ってくれたのだった。
そいつの名は PC-9801RA21。
それまで友達が持っていて、 「 いーなー 」 と思っていた憧れのパソコンだった。
( ほんとは X68000 が欲しかったんだけど、 ゲームばっかだってんで却下された )

そいつがやって来るや、 オイラはたちまちそいつの虜になってしまった。
最初はおとなしく一太郎使ったりするだけだったのに、 だんだん分かり出すと AUTOEXEC.BAT や CONFIG.SYS を書き換えて遊び始めた。
N88BASIC のサンプルプログラムを意味も分からぬまま打ち込んで実行してみたりした。
TURBO C/C++ を買ってきて、 お約束の " Hello, World! " をやったりした。
読んでもさっぱり分からないのに、 「 Programmer's Page ( 現 DDJ ) 」 なんか購読したりして。

こういうのって、 ここ読んでる方はいつごろ体験されてるんでしょうね。
オイラなんて遅すぎるよね。 もうちょっと早く出会ってれば人生変わってたかも…と、 ちょっと悔しい。
普通中学生とか高校生とかの好奇心旺盛な時期に、 なけなしの小遣いをはたいて買うんだよね。

悔しいけど、 大学以前にこの世界に足を踏み入れた人と、 大学以後に踏み入れた人では、 明らかに何かが違う。
それは、 " 憧れ " で書いたプログラマに求められる最低限の適性の一つ、 「 好奇心 」 だ。
オイラだって小学校の頃学研の 「 科学 」 の記事を読んで欲しいなと思ったり、 友達が持ってるのを見て羨ましいなと思ったりしてたのに、 行動が伴わなかった。

なんでその時行動に出るほどの好奇心が沸かなかったかというと、 オイラはどんどん文系の方に流れていっていたのだった。
そして文学部を受験してしまう。
でも文学部時代に得たものは全く無駄にはなっていない。
こうして文章も書けるわけだし ( 誰でも書けるよー ) 。

でも、 もし神様がいるとしたら信じましょう、 オイラを天職に導いてくれた神様を!!
あの時親父がパソコン買ってくれなかったら、 文学部出て、 バブル弾けて就職難、 大変だったろうねぇ、 事務員になれれば御の字だったと思う。
なぜかこうもまわりくどいルートを辿って、 ここに流れついた。
「 まわりくどい 」 というのは、 パソコンを買ってもらったこと以外にも偶発的な要素が他にあるからだ。
それが何かって? それは次回のお楽しみ ( 誰も楽しみにしてねーよ ) 。

糞プログラマの作られ方 ( 前編 ) - 完 -
第15話 職業病 1999/03/21

川崎駅の地下街に、 " & parts " という名前の店があって、 その店の前を通るとどんなにぼけーっと歩いていても即座に現実に引き戻されるのは、 オイラだけか?
はっ、 アドレスか… いや、 参照かな?
そんなこと考えるんお前だけじゃ〜!!

この業界の職業病って非社会的でなかなかヒドイよね。

これ全部マルついたら、 かなりヤバイですよ…。
第16話 癖 1999/03/22

我が家で VC++5.0 を立ち上げるとオープニング画面に 「 VisualStudio97 」 と表示されるが、 会社で VC++6.0 を立ち上げると 「 VisualStudio6.0 」 と表示される。
確か Office もそんなことになってた記憶が…。
あの会社のバージョン管理は常人の理解を超えている。

全然話が変わるが、 習慣というのは恐ろしいもので、 例えば母国語が日本語だといくら後で英語を勉強しても普通は 「 日本語英語 」 しか話せない。
同じように例えば最初に COBOL を覚えると後で C に移行しても COBOL っぽいコードしか書けない。

オイラが最初に本気で勉強したのは C だったから、 いくら後から Perl や BASIC を勉強してもなんとなーく C くさいコードになってしまう。
ほんとはいけないことだと知ってるし、 Perl で書く時は 「 パーラー 」 、 BASIC の時には 「 ベイシッカー 」 、 C なら 「 C ゲンガー 」 、 Java なら 「 ジャバラー 」 に変身したつもりで書いているんだけどね。

大概のことは 「 その言語らしい 」 コーディングを心がければ何とかなるんだけれど、 C の癖で一番困るのがポインタ。
ポインタがあったら楽勝じゃん! と思うことがいっぱいある。

一番困ったのが Perl での文字列解析だった。
「 へ? 」 と思われるでしょう。 文字列処理のためにあるような言語で文字列解析に困るなんて。
もうちょっと粘って調べれば分かったのかもしれないんだけど、
char*   str = "ABCDEF";
char*   ptr;

ptr = str;
while(*ptr){
    // 文字列解析
    ptr++;
}
みたいなことをしたくなったのだ。
ところが Perl の変数は Variant 型。 文字列も一個の変数にごろんと入ってる。
で、 さんざん 「 ラクダ本 」 をひっくり返して苦しんだ挙げ句、 解析対象の文字列をいったん配列に流し込んで一文字づつに分解し、 それから処理をした。
多分あれを後から見る人がいたら 「 ここは何をしているんだろう…!? 」 と思うだろうなー。

COBOL の人が C で書くと処理をだらだらーっと書いてしまう。 同じような箇所があってもコピーペーストしてある。
BASIC の人はグローバル変数使いまくり。 変数名が短くまるで暗号のよう。
Pascal の人は " #define BEGIN { " とかしてたりして見づらい。
同じ C でも、 汎用機系の人とかも変数名や関数名が短くて暗号だし ( なぜ? ) 、 ひたすらだらだら書き連ねる。

まぁそれなりに苦しんだ結果だろうから、 そのうち直してね〜って言うにとどめよう。
オイラも他の言語の人から 「 Perl はそうは書かないのっ!! 」 とか言われそうだし(笑)。

どうでもいいけど、 データベースの仕事の時、 " 命がけ " で出てきた先輩がオイラのことを 「 エスキュエラー Y ちゃん 」 と呼んでいたが、 「 エスキュエラー 」 はどうかと思うぞ。

第17話 偶然、偶然、また偶然 1999/03/23

引越しの準備をしていると、 いろんなモノが発掘されてきて面白い。
とにかく本がヒドイんだよね。 引越業者が持ってきた段ボールで足りるかと心配になってしまう。
仕方がないからさすがに週アスとかは捨てた(笑)。 つーか、 置いとくかフツー。

おお、 そういえば 「 糞プログラマの作られ方 」 が途中になっていた。 しかし、 なんでこんなもの書き始めちゃったんだ?
いや、 一応理由はあって、 プログラマの卵さんたちから 「 どうやってプログラマになったのか 」 を聞かれることが何度かあったから。
今度からここの URL を教えることにしよう。

趣味が高じてパソコン三昧のオイラは O 大学落語研究部に所属していた。
学祭シーズンになるとクラブの出し物のパンフレットが配られる。
ある日部室でそのパンフレットをふと手にとって眺めていた。

その中にとあるソフトハウスのアルバイト募集広告があった。
えっ、 それって 「 Oh! PC 」 に CAD パッケージとかの広告出してる会社じゃん!
オイラはドキドキした。 またとないチャンスじゃないか!!

鞄からごそごそと出してきたのは、 テレホンカード。
その広告とテレカを持って、 公衆電話に走った。
ええい、 だめもとだ!
「 あのー、 文学部なんですけど、 アルバイトできますか? 」
とりあえず面接に来てくださいと言われ、 面接に行ったら、 ワープロソフトのテスターに使ってもらえることになった。

アルバイトに行ったオイラは毎日めちゃくちゃ楽しかった。
PS/55 や Mac に触れられるだけで嬉しかった。
しかし、 会社を取り巻く情勢はオイラの知らないうちに確実に変化していたのだ。

主力の CAD パッケージのシェアは冷え込んでいた。
ワープロ、 表計算などのビジネススィート製品は、 とっくの昔にジャストシステムなどに抜かれている。
仕方なく CAD パッケージを使ったシステム受託へと変化していった。
しかし、 受託は受託で厳しいものがある。
お客様側の担当ともめることもしばしばだった。
競争入札で他社に負けることもあった。
…そして Windows 登場。 新しい OS に載せかえられなかった悲劇。
時代は容赦なく力のないものを見捨てていった。 振り返りもしないで。

そんな冷たい風に半ベソ状態だったオイラに、 先輩が大学院のパンフレットをくれた。
N から始まるめちゃくちゃ長い名前の大学院だ ( ばれてるって ) 。
「 Y ちゃん、 本気でこの業界目指すんだったらちゃんと勉強した方がいいよ 」 。
当時オイラは 3 年生だったのだが、 この大学院が飛び級入学を許可していたため受験資格があった。
ものは試しに受けてみたら、 なんと受かってしまった。
せっかく受かったんだから、 行っちゃえ!! …飛び級入学してしまった。
だからオイラは 「 工学修士 」 を持ってるくせに 「 文学士 」 を持っていない(笑)。

大学院に行っても、 オイラの絶望感に変わりはなかった。
せっかく大学院に行ったのに、 勉強もあんまりする気になれなかった。
もう日本のソフトウェア産業なんておしまいだ、 とまで思っていた。
そんな気持ちから、 ソフトだけに頼らない会社を選ぼう、 経営が堅実な会社にしようと思って今の会社を選んだ。
そして修了。 晴れて社会人になった。

オイラのブルーな気持ちはまだまだ続くのだが、 長くなったのでこの辺でいったん切り上げよう。
それにしても、 大学院まで行かせてくれた親父、 ありがとう!!

糞プログラマの作られ方 ( 中編 ) - 完 -
第18話 ソフトウェア力学 1999/03/24

「 ソフトウェアを作るつもりで橋や道路を作ったら大変なことになる 」 とよく言われる。
それぐらいこの業界は怪しいというか甘いというか…。

なんでそんなことになるかっていうと、 橋や道路が物体であり、 物理学の法則に逆らえないのに対して、 ソフトウェアはある意味でなんでもありだからだ。
例えば本来木造 2 階建てだった建物を、 木造部分はそのままに途中から鉄筋 12 階建てにするようなことができてしまう。
現実の建物でこんなことをしたらつぶれてしまう。 建設省にも怒られる。
「 力技でできてしまう 」 のがソフトウェアの恐ろしいところだ。
現場にいると、 「 木造、 途中から鉄筋 」 をいくらでも見ることができる。 そして見るたびに 「 よくこれで動いてるよな… 」 と背筋が凍る。

建物の場合は立てる前、 設計段階で強度とか耐久性をある程度計算することができる。
ソフトウェアの場合は計算というわけにはいかない。 ひたすら設計者の経験に依存しているのだ。
建物は後から建て増しする可能性がある場合、 建て増ししたらどうなるかまで計算することができる。
ソフトウェアの場合それはスケーラビリティという言葉で表されるが、 そこまで考えられていることは少ない。 やはり経験に依存するからだ。

計算できないからマズイんじゃないだろうか?
計算ができるんならラクチンできるんじゃないだろうか?
誰か 「 ソフトウェア力学 」 なんてのを作ってくれないかなー。
できたら面白いだろうね。 今稼働してるシステムの殆どはとっくの昔に崩壊してるはずだったりしてね。

冒頭の、 ソフトウェアを建築に当てはめるの、 やってみると面白いよ。

「 会議室がうるさいから防音壁にしてよ 」
これはよくある 「 ちょっとした改造 」 ですね。 これならオッケー。

「 この前塗ってもらった壁、 また崩れたんだけど 」
左官屋が下手ですね。 もっと上手な人に頼みましょう。

「 最上階からサンダーバードが発進できるようにしてよ 」
建築会社なら丁重に断られますね。 でもソフト屋さんならこのくらいのことはやるでしょう。

「 壁や柱にひびが入ってきたんですけど 」
欠陥住宅ですね。 でもソフト屋さんならそのまま使いつづけるでしょう。

「 うちの会社のビル、 ついに崩れちゃったんですけどー!! 」
建築会社なら裁判で負けますね。 でもソフト屋さんなら 「 あっ、 全部作り直しましょう。 ○千万円下さい 」 とか言いそうですね(笑)。

第19話 螺旋 1999/03/26

3 月 25 日、 オイラの送別会が開かれた。
本当にサヨナラだ。
3 年間、本当にみんなありがとう!!

このスレッドで 「 糞プログラマの作られ方 」 を終わらせちゃおう。

社会人になったオイラには、 特にプログラマで飯を食おうとかそういう意図はなかった。
それほどまでに絶望していたのだ。
しかし幸か不幸か、 与えられた仕事はどれもシステム開発の仕事だった。
受話器を首に挟んでコーディング ( これはちょっと大袈裟な表現だが ) したこともあった。
鬼のデスマーチもやらされた。

そしてつくづく思い知ったのだ。
大変なのはパッケージだけじゃないんだ!!
システムだって、 大変なことに変わりはなかったのだ。
「 どこが大変か 」 が微妙に違うだけだったのだ。

…だったら、 最初からやりたかったことをやればいいじゃないか!!
そう、 パッケージだ。
あらゆる媒体を駆使して転職活動を展開した。
そして…。

螺旋階段を登っていたら、 7 年前通過した地点の上空にさしかかった。
建築 CAD から製造 CAD へ、 流れる方向は一つでも、 オイラの中を激しく流れ揺さぶって通過していった時間は、 螺旋状に渦巻いていた。

今のオイラは 7 年前のオイラではない。
ただ闇雲に夢を抱いたりはしていない。
会社がダメだったら、 自分の腕一つでどこへでも行ってやる。
さーて、 次はどこへ行くかなー… って次の会社にまだ行ってないでしょーが(笑)。

糞プログラマの作られ方 ( 後編 ) - 完 -

Copyright (C) Ada72 All Rights Reserved.